イギリスの音楽雑誌が30人によるポール・ウェラーの30曲『Paul Weller’s 30 best songs』というのを公開しました!
http://www.uncut.co.uk/features/paul-wellers-30-best-songs-68698
時間があるときに少しずつ訳して紹介します。今日も2つ掲載します!
今日はその第15弾と16弾です。
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「YOU DO SOMETHING TO ME」スティーブ・ジョーダン(サッカーチーム・クリスタルパレスのオーナー・実業家)
※(NMEが間違えている可能性があります。サッカーチームのオーナの名前は正しくはサイモン・ジョーダンです。
もしくはドラマーのスティーブ・ジョーダンの可能性もありますが、おそらくサイモン・ジョーダンたと思います。
ちなみにサイモン・ジョーンズは批評家としても有名です。)
『Stanley Road』は素晴らしいアルバムだ。まさしく、ソングライターであるポールが彼の出身地であるウォーキングに立ち返ったサウンドだよ。25年間もの経験を得て、その全てを詰め込んでいるね。
彼はこの曲の以前にもラブソングを書いているけど、この曲はとくに他人の共感を得るものだ。それは心の底から来ているからだろう。
彼はとてもまじめな男だ。軽薄な行動は好まないよ。そして、音楽業界からは慎重にある程度の距離を置いている。
彼が『Stanley Road』の時、ブリットアワード(イギリス最高の音楽賞、米におけるグラミー賞のようなもの)を拒否したことは、とても素晴らしいことだと思った。
そして、そういった行為を見ると、彼が「モッドファーザー」と言われていることに少し違和感を感じる。確かに彼は始めはモッズ・シーンから影響を受けていたけど、とっくにそんなものを超越している。
私は彼の全ての音楽を聴いているよ。15台車を所有しているけど、その全てに(ザ・ジャムの)『Snap!』が置いてあるよ。
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「WALLS COME TUMBLING DOWN」ビリー・ブラッグ(シンガー・ソングライター)
俺が初めてポールと会った時、俺達が若者の社会主義運動のためにライブをした時だった。テムズ川の南にあった小さなステージで、今はロンドンアイ(ロンドンの名物観覧車)がある辺りだな。1984年だ。
その後に彼は俺をスタイル・カウンシルのライブに招待してくれたんだ。そのライブは気難しくもなく政治的でもなかったよ。スタックス&ヴォルトレビュー(アメリカのソウルレーベル、スタックスのアーティストが出演するコンサート)に似ていた。
政治思想を音楽に取り入れるという鋭敏な感覚は、ポールがザ・ジャムから引き続き行っていたことの一つだった。「WALLS COME TUMBLING DOWN」は俺達が80年代中期にやりたいこと詰め込んだ最高の作品だと思う。俺達はみんなアメリカの公民権運動の時のソウルミュージックに影響を受けていた。
ポールと知りたいになったころ、彼はとても政治的で若者の社会主義運動や核軍縮運動なんかをサポートしていたよ。恐らく、イギリスの労働党と一緒に何かやろうとしていた時だと思う。俺も1985年には若者の雇用を増やす目的の「JOB FOR YOUTH」ツアーをやったし、それがレッド・ウェッジ(ビリー・ブラッグやポール・ウェラーが中心となって行ったミュージシャンによる労働党のサポート運動)につながっていったんだ。
まず、俺達は労働党の幹部と会談をすることから始めたんだ。エレファントキャッスル(ロンドンの地名)で、労働党の数名の政治家を会ったよ。その中で、ポール・ウェラーは極めて重要な人物だった。彼はビッグスターでありながら、我々を真剣にさせる。さらに、その存在だけで、群衆を引き込める、大きな場所で我々を演奏させることもできる、他のアーティストを取り込むこともできる。だから、彼の公約は重要だったんだよ。
彼はレッド・ウェッジに参加しながら、ライブ・エイドにも参加した唯一のアーティストだったから、いろいろなオーディエンスを見方にできたんだ。
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以上です。