Paul Weller’s 30 best songs

イギリスの音楽雑誌が30人によるポール・ウェラーの30曲『Paul Weller’s 30 best songs』というのを公開しました!

http://www.uncut.co.uk/features/paul-wellers-30-best-songs-68698

それを翻訳して掲載しています。

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30:「MR CLEAN」(The Jamの『All Mod Cons』に収録)
選曲者:The Whoのピート・タウンゼント

(*ウェラーのことをポールを呼ぶのでポールと書きます)

俺がいつもゾクっとするポールの曲はこの曲だよ。「俺に近づくな。俺を汚すな。」って感じの歌詞だからな。
政治家とか、そういった感じの奴ら、人間っぽくない奴らのことを歌ってるんだろう。

ザ・ジャムはそういった反骨心を歌うバンドとして、とても重要な立場だったと思う。特にポールはとても
尖っていたからな。人間というのは、あるものを深く熱く信じると、それに固執していくことだしね。ポールもそうだ。

俺たちザ・フーとザ・ジャムはファッションのような外見や表面的なこと以外にも、似たような立場にあったと思う。
ただ、彼らはより「イギリスの若者はこうだ」というものに近かった。なんというか、より普通の若者っぽかった。
謙虚さのない若者だけどね。とにかく、あのころはポールに似たファッションの若者は町中、国中にいたよ。

だけど、俺が思うにポールが凄いのは、ブレずに「彼自身」で居続けていることだね。
彼自身を変えてしまうような立場に居たはずだし、彼のファンは「ウェラーを僕らのリーダーに」といったようなことも
言っていただろう。だけど、ポールはそういったことに一切影響されなかったんだ。

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29:「GIRL ON THE PHONE」(The Jamの『Setting Sun』に収録)
選曲者:元PULPのジャーヴィス・コッカー

俺はこの曲の歌詞が好きなんだ。「彼女は俺の全てを知ってるなんて言ってやがる。俺の脚の長さから”アソコ”の大きさまで!」
っていう部分が特に。

この曲を聴くまでは、パンクっていうと共同住宅や暴動なんかについてだったけど、この曲は違う。

この曲を聴いて初めて、普通のことを歌っても良いんだって自覚したんだ。
「Girl On The Phone」はパンクの曲なかでも一番笑えるし、一番親しみが持てる曲だよ。

ウェラーはこの曲で自分の生活を歌っていて、
そして、バンドが成功したということは彼がイラついているというも意味するんだね。

その点において、僕は自分の生活を曲にすることに対して、もっと自由だったかも知れない。
まぁ、そんなに大した問題じゃないけど。

僕とウェラーは音楽活動では同じ場所にいたことはないけど、何年か前に、よりにもよって子供の遊び場で
偶然一緒になったことがあったよ。僕は息子と一緒で彼は自分の子供達と一緒だった。

僕らは挨拶を交わして、少し会話をしたんだ。僕は彼がとてもスマートに着こなしをしていたのに感動したよ。
たとえ、子供の遊び場に立っているとしてもね。

僕はポップスターがステージを降りたらフードのついたトレーナーっていう姿を見るのが嫌なんだけど、ポール・ウェラーは
24時間ポール・ウェラーなんだ。その気の使いようは賞賛するよ。

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28:「SPEAK LIKE A CHILD」(Style Council)
選曲者:スティーブ・クラドック(オーシャン・カラー・シーン、ウェラーのサポートギタリスト)

このシングルの黒塗りのジャケットが好きなんだ。何にも囚われないといった感じだろ。
そしてジャケット裏、ウェラーが着てるレインコート、かけてるサングラス、ヘアスタイルに靴。
カッコいいって思ったよ。

タイトルも好きだ。ティム・ハーディンも同じタイトルの曲があるって知った時には特に気に入ったよ。

そして、この曲で”bona fide(「誠実な、真実の」という意味)”っていう言葉を初めてしったんだ。聞いたことなかったから、辞書を開いて調べなきゃならなかった。ポールは言葉の使い方にとても確信があって、スタイル・カウンシルでは映像でも訴えかけるものがあった。それでも、単なる”うぬぼれ”とは違ったんだ。それはポールの人に対する愛を常に感じ取れるからじゃないかな。

スタイル・カウンシルが最初の年にリリースしたシングルはどれも素晴らしいよ。それのおかげで、女性たちが初めてポールに興味を持ったと思う。リリースされたシングルは、ポールのそれまでとは違った面を見せているよ。

彼と一緒に演奏できるチャンスが来るなんて、信じられなかったよ。自分には才能が足りないと思っていた。
でも、ポールが多くの自信を与えてくれたんだ。彼はとても紳士的な人だよ。

ポールのような人間が周りにいるときに、自分の中から見つけられるものというのは、とても凄いものなんだ!

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27:「TALES FROM THE RIVERBANK」(The Jam「Absolute Beginners」のB面に収録)
選曲者:リック・バックラー(ザ・ジャムのドラマー)

この曲が好きだね。負け犬って感じだからね。特に注目を浴びた曲でもない。それにそんなに演奏しなかった曲だ。
でも、鋭さはいまでも際立ってるね。

あの時は、バンドがピークだったんだ。ご存知のとおり、僕らはライブバンドだった。この曲の前まではライブのノリのまま、つまり、ライブでやっている曲をそのままレコーディングしていたんだけど、この曲はスタジオで生まれたんだ。

この曲の雰囲気が凄くすきだ。この雰囲気は作り出すのが難しい。人工的でなく、自然に生まれてきた感じだね。

こんなにも自然で完璧なサウンドを作り出してしまうと、作曲やレコーディングをしていたとしても、そういった機械的な作業の記憶は忘れてしまっているんだよ。

この曲はポールが書いた詩、つまり彼が言わんとする全てのことが反映されている気がする。彼は場面や情景といったものをしっかりと把握しているし、実測的なレベルで物事の状況を捉えているんだ。たとえ、同じ状況にいなかったとしてもね。

自分にノスタルジックがあるかは判らないけど、このレコードには安らぎみたいなものは感じるかな。親しみというかね。
「Wild Wood」なんかを聴くと、ポールが過去に行っていたことの延長線上にあるのは明白だね。ただし、それ以降のポールの曲を俺はそんなに聴いてはいないけどね。

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26:「THE BITTEREST PILL」(The Jamのシングル:チャート2位を記録)
選曲者:シェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)

初めてジャムを見たのはロニー・スコット(ジャズクラブ)の2階(控室?)だったと思う。
奴らはソウルディスコとかソウルのベスト盤とかジャマイカ音楽のベスト盤とかの輸入レコードをかけてたよ。
あと、パティ・スミスやテレヴィジョンなんかもチョロっとかけてたな。

ジャムは最高だと思ったよ!奴らのスーツ姿!大好きだよ!それからは、RoxyとかVoltexとかハマースミス(ロンドンの駅名)の
Red Cowといったライブハウスで奴らのライブを見たんだ。

どのライブかで、ポールが俺に会釈したんだ。で、俺はアンコールの時にステージに上がったんだ。段ボールのギターを抱えてね!そのギターはピートタウンゼントの「MAXIMUM R&B」のポスターのリッケンバッカーみたいな色が塗ってあったよ。で、一緒に「Heatwave」を演奏したよ!タウンゼントみたいに腕を回しまくった!

「The Bitterest Pil」は、まさしくポールの曲って感じだね。彼自身、そして聴く人に対して挑戦している。スタイル・カウンシルっぽい曲に挑戦したって感じだ。

個人的な感想だけど、スタイル・カウンシルは先をいきすぎていたよ。2人の白人がアクアスキュータムを着てソウルバンドをやってる。誰もが「ポールは何を考えてんだ?」って感じだっただろ。だけど、この曲がそれの「始まり」だったんだよ。

最近、偶然ばったり会ったんだ。ポールが「名誉功労賞」か何かを受賞した式だったかな。一緒に笑ったよ。「もう終わりだな。今すぐ死んで消え失せるしかねぇな」って。これこそ、ロックン・ロールだよ。

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25:「PEACOCK SUIT」
選曲者:カール・バラー(リバーティーンズ、ダーティ・プリティ・シングス)

この曲は俺がポールと一緒に歌おうと思って、すべての歌詞を忘れちまった曲だよ。
ランドハウスでのライブにゲスト出演した時さ。床にも歌詞を書いた紙をわざわざ置いて
おいたのにその歌詞が一切読めないって判ったんだ。

実は、最初はどの曲をやろうか迷ってて、ディズ(ダーティ・プリティ・シングスのベーシスト)が
この曲がカッコいいって教えてくれたんだ。

でも、結局、歌詞を覚えられなかった。。この曲は最高の歌詞だ。それに加えて、ギターが尖っていて爽快でカッコいい。

ポール・ウェラーと一緒に演奏できるのは最高だよ。ちょっとびびっちゃうけどね。だって、偉大なウェラーだよ。

とても可笑しなことだけど、賢明になって、歌詞を区切って覚えようとしてたんだけど気が動転してた。
覚えられなかったよ。しかも、後にはエイミー・ワインハウスが控えていたのも知っていたし。。
完全に動揺しまくってた。

でも、最終的にはOKだったよ。「In The City」をやったんだから。それも超熱い演奏だったからね。

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24:「FUNERAL PYRE」
選曲者:リチャード・ホーリー
(パルプやロングピッグスなどに在籍、現在はシンガーソングライターで活躍)

俺の妹は昔からウェラーとザ・ジャムの大ファンだったんだ。だから、妹を通して俺はウェラーの作品をたくさん聞いてきたよ。

家にはレコードプレイヤーが一つしかなかった。だから、寛容である必要があったんだ。プレイヤーを交代で使ってたんだ。
俺はヴェルヴェット・アンダーグラウンドをかけたかった。妹や妹の友達が大っ嫌いなね。妹たちはスモール・フェイセズとか、モッズに夢中だったよ。俺はというと、まったく違った世界にいたんだ。

だけど、妹たちがザ・ジャムのベストアルバムをかける度に、「FUNERAL PYRE」が好きになった。心の中で「早くかかれ!」と心待ちにしていたよ。嫌いなふりはしてたけどね。

この曲はすばらしい。最高のベースラインにへヴィ―なドラム!ほんとに狂気的さ!ザ・フーの「The OX」を彷彿とさせる。制作過程で影響されたかどうかは分からないけど、同じスピリッツは持っているはずさ。ただ、サウンドは他に類を見ない。今でもね。

ウェラーは常に良いものをコンスタントに作り続けている。彼はこれぞウェラーだという曲を書けるんだ。

彼とはあったことはないよ。ただ、一度なんかのフェスで顔を合わせて会釈はしたよ。彼にはいつも自信に満ち溢れているような印象をうけるよ。

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23:「SUNFLOWER」
選曲者:フィリップ・グレニスター(俳優)

俺がジャムのことが気になりだしたので、14か15歳の時で「Eaton Rifle」の頃だと思う。俺の兄貴は、ナショナル・ユース・シアター(青年演劇のための公的機関だと思います)に所属していて、彼の出る演劇を見に行ったのを覚えている。

トニー・マーチャントとバリー・オキーフェという人間による演劇だった。その二人は若い脚本家で二人ともパンクに影響を受けていて、パンクスピリットを演劇に取り入れていたんだ。彼らの演劇の中には「Thick As Thieves」という題名のものまであるよ。パンクの志向や態度といったものも演技に取り入れていいんだと思ったね。

ウェラーの曲はジャムの後は、ほとんど聞いていなかった。川で遊んでいるようなスタイル・カウンシルの「Long Hot Summer」のビデオとかは目に入ったりはしたけど、あんまり惹かれなかったよ。

でも、90年代になってからの彼は、とても素晴らしかった。再復活だったよ!「Wild Wood」を演奏しているのをテレビで見て、すぐにCDを買いに行った。凄く気にいったよ!特に「Sunflower」がね。聞くたびに、あのリフが俺の髄を刺激してくる。ビリヤードの世界選手権の中継に使われているから、ビリヤードを思い起こしてもしまうけどね(笑)

まぁ、とにかく素晴らしい。途中のスティーブ・ホワイトのドラムロールも凄いね。現実離れしているよ。友達と呑んでいる夜に何度、この曲をかけたことか。エアギターはやらないよ!エアドラムをやるからさ(笑)

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22:「CHANGING OF THE GUARD」
選曲者:ロバート・ワイアット(元ソフトマシーン)

俺はスタイル・カウンシルにとても共感していた。多くの人は、スタイル・カウンシルがポールがいろいろと手をつけていて、良くない時期だと思っているが、私は過小評価されていると思うよ。メインロードを歩いていない時に、自分がやってきたことの中で最も重要なことが思いつくことだってあるさ。

スタイルカウンシルについては、とても勇敢で”本物の”行動だったと思う。そして、彼は少ないけれどいくつかの”本物の金”を生み出したんだ。「Changing Of The Guard」も、その一つさ。D.Cリーとのドュエットでブラックソウルの音楽を正しくやっているよ。マーヴィン・ゲイとかタミー・テレルのようなね。

ポールの好きなところは、とても英国人なところさ。だけど、俺達はたくさんのアメリカン・ブラック・ミュージックとともに育った英国人だ。とってもナイスな矛盾だろ。でも、彼にとってはとても当たり前のことなんだよ。

あと、スウィングル・シンガーズとか、完全にロックの伝統から外れているようなジャズやクラシカルな分野の人たちとも一緒に仕事をいているのも好きだ。とても、プログレッシブで自由な発想だよね。

彼が俺のレコードをかけたときなんだけど、俺達は適当に座って喋ってたんだ。とてもカジュアルにね。そしたら、突然、「よし!聴こう!」っていって、それから、とても真剣に聞き始めたんだ。そして、少しだけ聞くと立ち上がって、レコードを指でとめたんだ。そして、俺がやっていることに、とても適切なアドバイスをしてくれたんだ。

何故そんなことができるのかは、彼は演奏するよりも、さらに長い時間、いろんなものを聞いているんだ。
だから、ときどきだけど、一緒に何かを真剣にやれるのは楽しいよ。

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21:「The Ghosts」
選曲者:ニッキー・ワイアー(マニック・ストリート・プリチャーズ)

俺はいろんなウェラーの曲が好きだけど、この曲は未だによく聴いてる曲だよ。ロンドンに行くときにはipodで最初にかけるね。
俺にとって、ザ・ジャムが自分たちのメッセージを歌い上げる姿勢は共感できるものだったよ。いつも期待に応えてくれた。

「Down In The Tube Station At Midnight」のように、一つの曲に歌詞を詰め込むといった手法は俺もリッチーもとても影響を受けたよ。ほんとに多くの言葉を息をはずませて歌っているよね。

ただ、この曲では明らかな変化があるんだ。俺はポール・ウェラーはイギリス史上最高のソウルシンガーだと思う。この曲は、彼自身がそれに気づき始めた曲だと思うよ。声に素晴らしい豊かさがあるよ。多くの人は彼の声は爆発しているように聞こえるかもしれないけど、彼は爆発の中で自分自身をコントロールしているんだ。

この曲を彼が演奏しているのをTUBE(イギリスの音楽番組)で初めて見た時、俺はめちゃくちゃ感動しんたんだ。

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20:「LONG HOT SUMMER」
選曲者:ミック・タルボット(元スタイル・カウンシル)

俺がポールと初めて会ったのは1979年だった。俺は当時、「Merton Parkas」っていうバンドにいたんだ。ポールがプロデュースするっていう話もあったんだけど、結局、叶わずじまいだった。その後、82年の夏にポールから連絡があって、しばらくぶりに彼にあったんだけど、彼はジャムを解散するって言ったんだ。その時、ポールは次に何をやりたいかをしっかり考えていて、俺を誘ってきたんだよ。

ポールは、一般的なバンドのスタイルにとらわれないものをやりたがっていた。実はこのとき、ポールは初期段階のインストロメンタル(歌なし)の曲をいくつか作っていたんだ。ちなみにその曲は今まで演奏されたことがないと思う。

彼は先を常に見据えていたよ。映画監督の様にも見えた。

この「LONG HOT SUMMER」では、俺達は最新のシンセサイザーの音とハモンドオルガンの音、エレクトリックピアノの音を混ぜ合わせて作りたかったんだ。当時、俺達二人はクローズ・ハーモニー系のグループが好きでね。二人ともいつかはデルフォニックスに、この曲をカバーしてもらいたいって考えていたよ。

プロモーション・ビデオはカメラが上から降りてきて、俺達がケンブリッジの特別研究員のような感じで写ってるだろ。『ブライズヘッド再訪』の真似したのさ。ティム・ポープが監督で、「もし、君たちが寝っころがってくれれば、二人の顔を一緒に撮れるよ」って言ったんだ。で、俺達は寝っころがって、だんだん顔を近づけていったんだけど、お互いの耳が当るんじゃなかって思って可笑しかったよ。

ビデオについて、レコード会社では騒動になって、そしたら、マスコミにも流出しちゃってね。

その後のビデオは知っているだろ!2人でクローゼットから飛び出したのさ!

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19:「CARNATION」
選曲者:リアム・ギャラガー

ジャムは良いバンドだけどな。俺は彼らが活躍している時には幼かったんだ。ウェラーは好きだよ。

オアシスがスウェーデンにいた時だと思う。オーシャン・カラー・シーンと一緒だったんだ。で、一緒にションベンしてたときにジャムとかモッズの話をしてたんだ。俺が「CARNATIONが一番好きだ。」って言ったら、スティーブ・クラドックが「俺もいつかカバーしたいと思ってるんだよ。」って言ってよ。

後日、スティーブはジャムのカバーアルバム『Fire and Skill』に収録するために「CARNATION」のデモを作って、そのテープを送ってきたんだ。で、電話がかかってきて、俺に「歌いたいか?」って聞いてきたから俺は「そんなのゴメンだね」って答えたんだ。それから、奴の電話を無視してたんだけど、あるときパッツィー(リアムの妻)が電話を受けちゃってね。で、渋々、電話に出て「俺はオアシス以外で歌ったことはないんだよ。やったことないことはできない。」って言ったんだけどな。まぁ、覚悟を決めてプライマル・スクリームのスタジオに行ったんだ。で、その日の午後にレコーディングしたってわけ。

後日、「TOP OF THE POPS」(イギリスの音楽番組)に出なきゃいけなかったんだけど、「いいじゃん」って感じだった。出来上がりが良かったし、歌えて良かった。その当時までに聴いたものの中で一番良いものに聞こえてたんだよ。

チャートの1位を取れれば良かったけどな。まぁ、オアシスで何度もとってるしな。トップ10に入らなかったら少し残念だったかもな。

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18:「LITTLE BOY SOLDIERS」レイ・ウィンストン(俳優)

私はずっとザ・ジャムのファンだったんだが、実際にポールと会ったのは6年前のベルリンが初めてだった。
私達は同じスタジオで仕事をしていて、同じころに終えたんだ。

私達は似た境遇にいるんだよ。ポールの親父さんはボクサーだっただろ。だから、すぐに仲良くなったよ。それから、彼の音楽をもっと聴くようになったんだ。

私は以前にドンマー・ウェアハウスという劇場で「To The Green Fields And Beyond」という芝居に出たことある。その芝居は、第1次世界大戦の時、戦車に乗っていた兵隊たちの戦場に行く前夜を描いた物語で、その兵隊の役を練習しているときに何度も「LITTLE BOY SOLDIERS」を聞いていたんだ。

「LITTLE BOY SOLDIERS」は3分程度の曲だがポールは物語を伝えるのと同時に、戦場の雰囲気も作り上げている。「俺は君にお別れの歌を歌う/その物語を伝えるよ/どうやって善が勝っていきたか」という詞でね。不必要な「若者の無駄死に」について歌っているんだ。

私は時々、ポールは映画を撮るべきだと思うよ。だって、彼の音楽にはそういった面も持ち合わせているんだから。

彼は絵も描く。愛すべき変わり者でもある。でも、人に対して偉ぶらない。最近のポップスターは5枚くらいアルバムを売って、あとは自分がどう格好良く映るかを気にしているだけだろ。ポールは違う。それとは対極のところにいるね。
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17:「STRANGE TOWN」クレイグ・フィン(ホールド・ステディ)

アメリカ人にとって、ジャムの音楽はとてもイギリスらしいものなんだ。知らない言葉も多いしね。フレーズとか場所の名前とか、ほとんど暗号みたいな感じさ。違う言語を話しているんだ。だから、アメリカのメインストリームの視点から見ると、彼らはイギリスすぎたんだよ。「STRANGE TOWN」は郊外を離れて都会へ出ていく歌だね。似たようなロックロールの歌はいくつもあるんだけど、この曲は特に”イギリスの”ロックンロールって感じさ。

「In The City」や「Going Underground」は都会のエキサイティングな面を歌っているけど、「STRANGE TOWN」は”恐怖心”みたいなものを歌っているよね。

僕は郊外からミネアポリスの街に行く途中のバスで、「そこになにがあるのか、どんなことが起こっているのか、どんなレコードあるのか」が不安だったよ。でも、ミネアポリスの音楽を聴いて、僕自身も僕の友達も全員、何かの可能性を感じたんだ。いつか、この大都市で成功するってね。

ポールはそういった間隔を、とてもロマンティックな音楽にしている。彼はそうことに長けている偉大なソングライターだよ。彼は、「説明できないけど感じることのできるもの」を言葉にしているんだ。

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16:「YOU DO SOMETHING TO ME」スティーブ・ジョーダン(サッカーチーム・クリスタルパレスのオーナー・実業家)

※(NMEが間違えている可能性があります。サッカーチームのオーナの名前は正しくはサイモン・ジョーダンです。
もしくはドラマーのスティーブ・ジョーダンの可能性もありますが、おそらくサイモン・ジョーダンたと思います。
ちなみにサイモン・ジョーンズは批評家としても有名です。)

『Stanley Road』は素晴らしいアルバムだ。まさしく、ソングライターであるポールが彼の出身地であるウォーキングに立ち返ったサウンドだよ。25年間もの経験を得て、その全てを詰め込んでいるね。

彼はこの曲の以前にもラブソングを書いているけど、この曲はとくに他人の共感を得るものだ。それは心の底から来ているからだろう。
彼はとてもまじめな男だ。軽薄な行動は好まないよ。そして、音楽業界からは慎重にある程度の距離を置いている。

彼が『Stanley Road』の時、ブリットアワード(イギリス最高の音楽賞、米におけるグラミー賞のようなもの)を拒否したことは、とても素晴らしいことだと思った。

そして、そういった行為を見ると、彼が「モッドファーザー」と言われていることに少し違和感を感じる。確かに彼は始めはモッズ・シーンから影響を受けていたけど、とっくにそんなものを超越している。

私は彼の全ての音楽を聴いているよ。15台車を所有しているけど、その全てに(ザ・ジャムの)『Snap!』が置いてあるよ。
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15:「WALLS COME TUMBLING DOWN」ビリー・ブラッグ(シンガー・ソングライター)

俺が初めてポールと会った時、俺達が若者の社会主義運動のためにライブをした時だった。テムズ川の南にあった小さなステージで、今はロンドンアイ(ロンドンの名物観覧車)がある辺りだな。1984年だ。

その後に彼は俺をスタイル・カウンシルのライブに招待してくれたんだ。そのライブは気難しくもなく政治的でもなかったよ。スタックス&ヴォルトレビュー(アメリカのソウルレーベル、スタックスのアーティストが出演するコンサート)に似ていた。

政治思想を音楽に取り入れるという鋭敏な感覚は、ポールがザ・ジャムから引き続き行っていたことの一つだった。「WALLS COME TUMBLING DOWN」は俺達が80年代中期にやりたいこと詰め込んだ最高の作品だと思う。俺達はみんなアメリカの公民権運動の時のソウルミュージックに影響を受けていた。

ポールと知りたいになったころ、彼はとても政治的で若者の社会主義運動や核軍縮運動なんかをサポートしていたよ。恐らく、イギリスの労働党と一緒に何かやろうとしていた時だと思う。俺も1985年には若者の雇用を増やす目的の「JOB FOR YOUTH」ツアーをやったし、それがレッド・ウェッジ(ビリー・ブラッグやポール・ウェラーが中心となって行ったミュージシャンによる労働党のサポート運動)につながっていったんだ。

まず、俺達は労働党の幹部と会談をすることから始めたんだ。エレファントキャッスル(ロンドンの地名)で、労働党の数名の政治家を会ったよ。その中で、ポール・ウェラーは極めて重要な人物だった。彼はビッグスターでありながら、我々を真剣にさせる。さらに、その存在だけで、群衆を引き込める、大きな場所で我々を演奏させることもできる、他のアーティストを取り込むこともできる。だから、彼の公約は重要だったんだよ。

彼はレッド・ウェッジに参加しながら、ライブ・エイドにも参加した唯一のアーティストだったから、いろいろなオーディエンスを見方にできたんだ。

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14:「LIZA RADLEY」デヴェンドラ・バンハート

若者が成長していくという共通のテーマを持った曲だね。「自由/自分は理解されない/この街に住む人間は皆、彼女のことを協調性がない」と歌っている。

しかしながら、この語り手のような歌い手は、彼女の自由な精神を称え、彼女に恋をして、最後には彼女に「リザ・ラッドリー、僕を連れてってくれないか?君がいくときに一緒に連れて行ってくれないか?」と歌う美しいパートに繋がっていく。

僕もそういった感情を恋に落ちたすべての女の子に持ったよ。だから、その部分はとても人の心を引きつけるんだ。

なぜなら、僕もかつては自分の住んでいるところにはいたくない、自由になりたい、ここから出たい、逃げ出したいと思っていた。
とても夢想的な画家っぽい女の子と一緒にね。

「ちょっと変わった女の子と一緒に自由になりたい。」僕は常にそういう気持ちを抱いているよ。

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13:「START!」カール・スマイス(マッドネス)

この曲がリリースされたとき、俺は初めてアメリカに行っていたんだ。で、タワーレコードでイギリスでは手に入らないビートルズとかキンクスのレコードを漁っていたんだ。

そんな時に、「START!」はとてもいい感じに聴こえたよ。ビートルズの「Taxman」のベースラインをマルパクリして、ギターはジミヘンのようなサウンドだろ。こんなにも判りやすく60年代へのトリビュートをすることは、80年代ではとても稀なことだったんだ。俺はこの曲の勢いと深い部分での60年代との意思疎通が好きなんだ。

ザ・ジャムと俺達のバンドは対峙することはなかった。モッズとスキンヘッズの間には一体感のようなものがあったからね。2-TONEもジャムもレトロだったけど、エネルギーは当時のものだった。こっそり、スモール・フェイセズにも精通してたしね。

ポールはナチュラルなアクセントで歌う。英国言語の偉大なる賛同者だ。
「車がストリートに無い時代の記憶/白人と黒人/戦前のイングランド」といったことが、彼の初期のころの歌にある。彼は執拗なまでに若者の文化を崇拝しているね。そして、彼の使う英語はとても身近なことを表現している。労働者階級ということが率直に関係しているからさ。

「START!」では意思疎通について、”たった2分でも心が通じ合えば、それで十分さ”って簡潔に歌っているよね。そして、それは的を得ているんだよ!そうだろ?
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12:「MY EVER CHANGING MOODS」スティーブ・ホワイト
(元スタイル・カウンシル、ポールウェラーのバックバンドのドラマー)

元々、この曲の雰囲気は全く違うものだったんだ。ポールとミックが録音した初期バージョンはピアノと歌だけだった。とても、物悲しい曲調だったよ。

そして、この曲をエルビス・コステロとテレビ番組で一緒にやった時に、もっと陽気な感じにしようってアイディアが浮かんだんだ。俺は、ウォーとかカーティス・メイフィールドっぽくしようって提案したよ。

そうしたら、歌詞はとても暗いけど、サウンドはとても明るく、アップビートになった。昔のソウルレコードのようにね。
このころは、どんなものでも早くしていた時期だ。たとえ、音が少しくらい外れていても気にしなかった。それが俺達の感情の全てだったからさ。

奇妙なことに、私達が成し遂げた数少ないアメリカでの成功の一つになった。チャートの29位に入ったんだよ。サイクリングシャツのおかげかな?当時、俺達はイタリアで良く仕事をしていたんだ。ポールがイタリアの若者たちがサイクリングシャツ着てジーンズをはいて、スクーターに乗っているのを見て、「これを使おう!」って決めたんだよ。18歳なら、とてもカッコいいけどさ。少しでも歳を重ねていると、そんなにかっこ良くないね(笑)

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11 BEAT SURRENDER
ギャリ―・クローウェル(音楽キャスター)

「Beat Surrender」はジャムの最後の曲として、とても素晴らしいものだった。ジャムというバンドが要約された曲だよ。彼らの内にある若さと音楽への祝杯といった感じでね。

ジャムの最後のライブを見にブライトンの会場に行ったのを覚えている。やつらは、ただのバンドマンになっていたよ。サッカーの試合会場みたいだったね。ただ、危険な雰囲気はなく、男性ホルモンが飛び交っている感じだった。

ポールはジャムに若さを残していきたかったんだ。やる気の低下や衰えを見せずにね。あんな絶頂期に辞めるということは、とても勇気のいる決断だったと思うよ。だからこそ、彼らは未だにとても尊敬され続けているんだ。

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10 DOWN IN THE TUBE STATION AT MIDNIGHT
リチャード・アーチャー(ハード・ファイ)

俺が最初に聞いたジャムの曲は「Beat Surrender」だよ。でも、一番好きな曲は、この曲さ。

そして、この曲は前にライブでポールと一緒にやったんだ。その時、ポールは「いくつか曲できるよ」と言ってくれたから、俺は「じゃあ、Tube Stationをやろう」っていったら、「おぉ、何年も演奏してないな」と笑っていたよ。ライブはBBCでのイベントでね。彼は少し考えた後に、「じゃあ、ライブの一番最後にやろう」って言ったんだ。

そして、俺は一時間以上、座り込んで必至に歌詞を覚えた。半分、パンツを漏らしながらね。歌詞をプリントアウトして、なんとか覚えたよ。

この曲はすごい曲だよ。ポールは、地下鉄の駅というものをとても良く表現している。音も臭いまでもね。ほんとに素晴らしい。たとえ、どこか違う場所の架空の話だとしてもね。そして、歌詞は音楽と、とてもフィットしてる。冷たい物語だよ。ポールは、それを地下鉄の駅で感じとって、この曲に詰め込んでいるだ。

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9 WILD WOOD
アンディー・ルーク(元ザ・スミス)

俺はザ・ジャムの大ファンなんだ。最初に買ったシングルは「David Watts」と「Down In The Tube Station At Midnight」だよ。

ウェラーがソロになって、『Wild Wood』を聞いたとき、ウェラーにとっての新しいサウンドだって思った。とても予想外のものだったよ。新しい方向性の始まりを感じたし、それによって多くの人に彼がカッコいいと思わせたんだ。

ウェラーは常に彼自身のスタイルでオシャレに着飾っているけど、この頃からちょっと髪を伸ばし始めたんだよね。それも何か新しいことを始めるように見えた。

俺はスタイル・カウンシルにはあまり多くの人が興味を持っていなかった気がする。スタイル・カウンシルからソロになるまでに、ほどよく少し間をあけたんだよね。そして、『Wild Wood』で彼は自分の行く先を見つけたように見える。とても簡単なことだったんだ。昔の曲は辞めてしまうってことだね。

『Wild Wood』をリリースしたとき、ウェラーはいろんな評価を受けたと思うよ。彼のやったことは英国音楽界にとって、ほんとに重要なことなんだ。多くのミュージシャンに影響を与えたよ。もちろん、俺にもね。

俺とウェラーは、とてもいい友人なんだ。時々、彼と出かけるよ。ウェラーは、いまだに夜遊びが好きなんだよ。

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8 IN THE CITY
ドクター・ジョン

俺が初めてジャムを聞いたのは70年代後半に遡る。当時、ロンドンにいてね。ロンドンのどこに行っても、ジャムの話を聞いたものさ。「ジャムはこんなだ。いや、ジャムはあんなさ」ってね。
それで、ある時、俺はクリス・バーバーとリハーサルをするためにスタジオに入ってて、隣のスタジオにはジャムがいたんだ。耳にした曲を確かに覚えているよ。「In The City」だった。すごい雑な演奏だった。俺が雑だと言うとき、それは良い意味なんだ。ニューオーリンズではね。

それで、たとえ壁越しでも曲が凄くいいと感じたよ。ファンキーな鋭さを持っていた。彼らがソウルやファンクを聞いて、それを学んでいたことは、すぐに判ったよ。音楽的なことを言うと、多くのパンクバンドはパンクというものに固執していて、彼らの音楽は呼吸が出来ないんだ。でも、ジャムは違っていたよ。

数年後にポール・ウェラーが俺の曲「Walk On Gilded Splinters」を演奏しているのを聞いたんだ。で、どこかのフェスで彼を見たよ。俺は驚いた。スウィングをして踊ってたんだ。このときに、この男がジャムのボーカルだと思いだして、全て納得がいった。

『Anutha Zone』をレコーディングしているとき、俺達はコラボしたんだ。初めて対面した時、ポールは俺の予想した通りの人間だった。若かったし、違うことに挑戦しようとしていた。彼は曲を全く違うものにするのを助けてくれた。それは誰しもが常にやりたいと思っていることなんだよ。ポールは俺の音楽を一旦リセットさせたんだ。

彼のスピリットはニューオリンズのスピリットを彷彿とさせる。昔のものを、若いスターが受け継いでいく。それがポールがやっていることなんだ。彼はまだ若いスターだけど、その感覚が備わっているよ。それを、とても自然にやっている。多くのミュージシャンが音楽をリセットさせようとしている時には、彼は助ける。そういった人間なんだ。

彼の音楽を歌えるのはとても嬉しい。ポール・ウェラーは本物だよ。

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7 THE MODERN WORLD
スティーブ・ディグル(バズコックス)

「The Modern World」は「White Riot」、「Boredom」と並ぶ闘争のための歌だ。

ウェラーは当時18歳だったけど、彼が若いことは誰も気にしなかった。

クラッシュの「White Riotツアー」にジャムとバスコックスが同行した時に、ジャムは初めてエジンバラのプレイハウス劇場で演奏した。俺が覚えている限り、その劇場は古めかしい、とても素敵な劇場で長いカーテンがあったんだ。で、バックステージに着いたとき聴こえてきたのが「The Modern World」だよ。

この時、「The Modern World」は新曲だったんだ。その曲が古いビロードのカーテンの裏から聞こえてきた時、俺達はぶっ飛んだよ。歌詞もとてもスペシャルだった。「俺達が正しいか、間違いかを教える人間なんて、要らないさ」っていうとこなんて、1977年そのものさ。若さで顔面に蹴りを入れた感じだよ。

ピストルズ、ザ・ジャム、バズコックス、そしてクラッシュはお互いを引き立てていたよ。この4組はパンクの核だった。ウェラーはとても激しかった。彼の精神はレンガとモルタルで出来ているなんてことも言われたね。彼が強い太い声を探していたっていうのも頷ける。

この曲のように激しい曲が続いた後、ジャムは自分たちの道を見つけたんだ。だけど、「The Modern World」は、爆発的にパンクロックが広まっていくきっかけとなった1曲だよ。

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6 THE BUTTERFLY COLLECTOR
セルジオ・ピッツォーノ(カサビアン)

俺は成長するにつれて、ジャムのことが気になっていった。姉さんは、完全にとりつかれてたけどね。俺はエレクトロミュージックから音楽好きになったんだ。でも、色んな音楽を聴くようにはしてた。

俺の親父が『Wild Wood』を買ってきて、「Wild Wood」の曲自体がとても素晴らしかったんだ。で、ジャケットの写真を見た時にやっと、このポール・ウェラーがザ・ジャムにいた男と一緒だったと気づいて驚いたよ。

俺は暗めの曲が好きなんだ。皆、ポールのことをモッズで華やかでギターコードをかき鳴らすイメージだけど、結構ゆがんだ曲もあるんだぜ。俺がティーンエイジ・キャンサー・トラストのチャリティーコンサートにいったとき、ポールがノエル・ギャラガーと一緒に「Butterfly Collector」をやったんだ。とても美しい曲だった。まじでサイケデリックだったよ。

歌詞も最高なんだ。「売春婦たちがうろちょろしている。でも、君は違うんだね。君は心が欲しんだから」ってね。ポールはこの曲を書いたとき、22歳くらいだよ。そして、いまだにその時と同じようにパワフルなんだ。

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5 THE ETON RIFLES
アラン・マギー(音楽レーベル、クリエーション創始者)

この曲は階級システムに対して、ポールが持つ嫌悪感の歌だ。中産階級や上流階級の人間がいかに自分たちのことだけを考えているかっていうね。「やった!万歳!/イートンライフル校にとって/なんて素晴らしい日でしょう」(※イートンライフルは、イギリスのエリート学校)って歌詞なんて驚愕だよ。悪しき階級システムがこういった輩の上に成り立っているっていうことを要約している。

ポールは会話のように歌詞を書いて、世間の問題を問いかけるんだ。ボブ・ディランがやったようにね。まぁ、悲しいことに世間は何も変わっちゃいないけど。階級システムはまだまだ、あるんだよ。ロック・ミュージックの中にさえ。

「ビールを飲んで、たばこを吸って、スロウの近くで喧嘩騒ぎさ」(※スロウはイートンの近くの街の名前)というこの曲の歌詞と比べてしまうと、公立学校出身のキーンやコールドプレイといったバンドは弱々しいロックン・ロールをやっているよね。それを聴く側も受け入れてしまう。まぁ、俺の言いたいことはここまでにするとしよう。

俺は今年(2007年)、ポールをロスで見たよ。彼はジャム、スタイル・カウンシル、ソロからのベスト盤的な演奏をした。ここ最近で一番良い彼のライブだった。ポールは50歳だが、まだ出来るんだよ。そのライブで俺はジャムが大好きだった子供のころに戻っちまった。子供のころはポール・ウェラーになりたかったんだ。たとえ赤毛の俺だったけど、彼みたいなルックスになりたかった!

彼はまだまだ落ち着きがないけど、それがすばらしい音楽を作り続けている理由だよ。俺は彼の後を追っているだけなのかも知れない。

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4 ENGLISH ROSE
フィル・ジュピトゥス(コメディアン)

ポール・ウェラーがザ・ジャムの初期に書いた曲の中で、この曲は彼自身の作曲能力をビートルズ並みのレベルに上げた曲だと思う。「Blackbird」や「In My Life」のように、自然体で美しい。ギザギザな華やかさを持つ他の『All Mod Cons』の曲の中で、この曲の静かさはとても効果的なものになっている。

この曲は多くのジャムのファンにとって、ポール・ウェラーが見せかけの偽物ではないという確固たる証明になった。そして、素晴らしい怒りの裏には、はかなさを持っていることも判った。曲が始まる前の「水滴が落ちる音」と「汽笛の音」も、とても重要なんだよ。

10代だった俺としては、恋に落ちた全ての女の子に聞かせたんだ。いわばテーマ曲見たいなもんだね。別の側面から言うと、この曲は俺がギターで弾けるポールが書いた数少ない曲でもあるんだ。

数年前に、イベントのツアーをしていたときの話なんだけど。ジャムが伝説的な地元凱旋ライブをやったギルドフォードでのアンコールで、俺はこの曲を演奏したんだ。そしたら、二番の歌詞が出てこなくなってね。途中から、「In The City」を演奏したんだよ(笑)

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3 THAT’S ENTERTAINMENT
ブルース・フォクストン(ザ・ジャム)

とてもシンプルな歌だ。歌詞については、ポールの素晴らしい洞察力で成り立っている。そのころ、彼はピムリコ(ロンドンの地名)に住んでいてパブでちょっとセッションをした後に、この曲を書きあげたんだ。たった、10分だった。多くの名曲は、そうやって直感的に降りてくるものなんだね。

この歌詞は当時の社会問題についての考えを書いている。ポールはその社会の一部であり、社会が退屈だと思っていた。フラストレーションがたまっていたんだね。そして、「人生にはこれ以上のものがあるに違いない」(※ブルースがクイーンとマイケルの曲から引用しています)って思っていたよ。

今、俺とリック(バックラー)はジャムの曲を再び演奏しているんだけど、一番人気のあるライブの一つなんだ。なぜなら、26年も経っているけど、みんな未だにジャムの曲への関心が強くあるからさ。ザ・ストリーツのようなバンドは日常の生活を送って土曜の夜に呑みにいこうぜって曲しか作らないしね。

この曲はとても実験的だった。なぜなら、ほとんどがアコースティックギターだろ。「This Is The Modern World」でもやった2重録音もしている。最初の俺とリックのリアクションは、「そうか。で、俺達に何をしてほしいの?」って感じだった。でも、その答えはとても簡潔で素晴らしかったよ。俺達はベースとスネアドラムを少しだけ挟んだんだ。それ以外には何もいらなかった。

そして、完成してみると、とても力強いものになった。固いリズムにもなった。欲求不満が溜まった歌詞にもよるだろう。スネアドラムがボディパンチのようにも聞こえるしね。

俺はポールをレイ・デイヴィスと比べる。彼は周りにある全てのものを吸収して、素晴らしい歌へとかえるんだ。彼のアンテナは永久に衰えないんじゃないかな。今でも立ってる。バイアグラでも使ってるのかな(笑)

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2 TOWN CALLED MALICE
レイ・デイヴィス(キンクス)

最初にポールを見かけたのはメリルボーン・ハイストリート(ロンドンの通りの名前)だった。彼は俺と同じスカーフを身に着けていて、俺達は二人ともクロンビー(洋服のブランド名)を着ていたよ。彼は常に自分のスタイルを持っているね。

ジャムが世間に出てきたとき、テレビに出るために演奏しているとは思えなかった。だから、とても安定したバンドになるだろうと思った。俺は彼らのロンドン気質なところが好きなんだ。彼らは自分たちが経験したものをテーマとして取り上げている。過激になりすぎず、オーバーな憎しみも持たず、鋭い観察力でね。

キンクスを始めたころの私達は他から孤立していて、俺はとても内向的だった。ウェラーの曲にも孤立感や疎外感みたいな要素はある。

俺は「Town Called Malice」が大好きだ。スネアの音が素晴らしいからさ。時々、スネアだけでも十分だとも思うくらいさ。あとは楽曲の構成の素晴らしさだ。モータウンっぽいリフが良い。デトロイトとロンドンの労働者階級のコンビネーションだね。

俺はあまり失業やコミュニティの喪失といったことは取り上げないけど、1982年にイギリスに住んで、ポールと同じように暮らしていたアーティストなら、身の回りで何が起こっているかを取り上げないはずはないよ。労働者階級による抵抗の歌とも言える。抑圧されるんじゃない!と歌っている曲だとも言える。だが、歌詞や何に影響されたかを抜きにしても、とても良い曲だよ。

ただし、アートを生産するために必要なものは詰め込まれている。多くの素晴らしい作曲家、作詞家は「共感を得る意識」というものをうまく使っているよ。そして、ポールは若くしてその才を持っていたんだ。

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1 GOING UNDERGROUND
ポール・ウェラー

良い曲だよな。そう思わないか?そして、俺は未だにこの曲が現代社会に当てはまると思う。「人工透析のための費用はロケットや銃に回される」っていう歌詞とかね。27年たった今でも何も変わっちゃいないよ。

未だにラジオでこの曲を年に一回は耳にするね。で、「このサウンドはとてもパワフルだな」って思うんだ。この曲の歌詞の解釈については、とてもたくさんの記事を読んだよ。半分くらいは不可解なものもあった。とある本には、ソ連のアフガニスタン侵攻についての曲だとも書いてあったよ。俺にとっては新鮮だったけどね。

ただ、曲を書いていたときに、そんなことに気づいていたかも定かではないな。それよりもイギリスで起こっていることをテーマにしたんだ。蝕み始めてたサッチャー政権への批判だな。

俺はこの曲をピムリコの古いアパートに住んでいたときに書いたんだ。深夜にアコースティックでね。確か21歳だったと思う。いつもはセッションしているときに曲を作っていくんだ。いろんな細かいアイディアが出てきて、それを広げていって、繋いで曲を作っていく感じ。

「Going Underground」が出来たきっかけは最初に思いついたリフなんだ。イントロで出てくるやつ。それをしばらく弾いて、コードを変化させていった。それに合わせて、適当なことを口ずさんでいて、2~3の言葉をつないでいったんだ。「人工透析のための~(kidney machine~)」の部分は早い段階で出てきたのは覚えているよ。とても力強いって感じたし、リズミカルで聴こえ方も良かった。そして、「世間が欲しがるものを世間が手にしてしまうんだ(the public gets what the public wants)」という部分が、強弱を強調するリズムにフィットしたんだよ。

この曲はスタジオに入って演奏するときにはギター、ベース、ドラム、ヴォーカル、ハーモニー、全てが完全に俺の頭の中で組みあがっていた。後半、キーがあがって全体のトーンが上がるところも最初から決めていたんだ。途中でキーが変わる曲ってあんまり聞かないだろ。俺は結構多様するんだ。「Headstart For Happiness」とかでもキーが変わってるよ。それによって、興奮を得られて前へ進む力を持つんだ。この方法は俺がモータウンを聞いているときに習得した技術の一つだね。

「Going Underground」は俺達が初めてチャートの1位をとった曲だよ。それまでやってきたことすべてがこの曲のための積み重ねに思えた。この曲のおかげで、俺達の人気はもっと上がったしね。その前のチャートの最高位は「Eton Rifles」の5位だったと思う。その時はまだ俺達どうなるんだって感じだった。昼の時間帯のBBCラジオで俺達の曲がかかるまで、数年かかったしね。でも、この曲で一気にブレイクしたんだ。俺達はラジオ局が曲をかけずにいられないほど、人気者になったんだよ。

チャートで1位をとったってニュースを聞いた時、俺達はアメリカツアー中だったんだ。だから、途中で残りのツアーをキャンセルしてイギリスにもどって、「トップ・オブ・ザ・ポップス」(イギリスのテレビ番組)に出たんだよ。ひょっとしたら、アメリカでの成功を無駄にしたかもしれないけど、後悔はしてないな。だって、チャート1位って、ちょっと特別だろ?「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出るのも凄いことだったし。確か、その後、3週間続けて出たけどね。。。

チャート1位をとったことで他にも色々あった。最初の数週間で25万枚ものシングルが売れたし。今なら、たとえ10年間1位を取っていたとしても、そんなにシングルは売れないよ。

実は、「Going Underground」は「Dreams Of Children」との両A面シングルだったんだよ。俺達はB面の楽曲にも力を入れていたし、A面と同じくらい重要だと考えていた。お金を生むのにも効果的だったしね。確か、ライブシングルがセットになったやつもリリースした覚えがある。他のバンドでも最近までやっていたよね。ビートルズと同じ事なんだけど。良い曲はアルバムにいれないっていうね。だけど、今はみんなやってない。シングルはアルバムのための宣伝になってる。

シングルがただの捨て作品になってしまっているのは残念だよ。特にB面やジャケットがないがしろにされているのはね。「Going Underground」のジャケットは俺が覚えている限りではPVのワンシーンを撮影した写真を使ってるんだ。ダウンロード購入は自由に配信出来たりするメリットはあるけど、シングル曲が無駄になったり、ジャケットのように何かが失われていくっていう心配もしている。

奇妙なことに「Going Underground」は、もうライブでやるような曲ではないんだ。ライブの時は自分の楽曲リストから選曲しているんだけど、もうちょっとリラックスしたものを選ぶようにしている。この曲と「Eton Rifles」はやらないね。(※最近、Eton Riflesはやっています)時々、リハーサルで試してみたりするんだけど、しっくりこない気がするんだ。違う曲では、突然「やろう」ってなることはあるけど。理由は、はっきりしないんだけど「Going Underground」は合わない気がするんだよ。

だけど、今聴いても、まだまだ良い曲だよね。そのことは誇りに思うよ。

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