ポール・ウェラーについて
今は簡略して書きます。
いずれはオフィシャルサイトの
訳文を載せたいと思います。。)
ポール・ウェラーは
イギリスのロック
ミュージシャンです。
70年代後半に18歳で
ブルース・フォクストンと
リック・バッカーと結成した
パンクバンド、ザ・ジャムの
フロントマンとしてデビュー。
当時、イギリスでは
ザ・ジャムはセックス・
ピストルズやクラッシュ
と並ぶほどの
人気バンドでした。
(上の2つバンドと比べると
日本では知名度が低いのが
残念です。)
ザ・ジャムはスーツを着て、サウンドもソウル音楽などを取り入れるなど
他のパンクバンドとはちょっと違ったスタイルでしたが、
歌詞の政治性、激しいライブパフォーマンスで
当時のバンドシーンをリードしていました。
しかし、82年にウェラーは人気絶頂だったザ・ジャムを解散します。
「今、自分のやりたい音楽は違う。」というのが、その理由でした。
そして、翌83年に ディー・C・リー、ミック・タルボット、
スティーブ・ホワイトと共にスタイルカウンシルを結成。
よりソウルやモータウンなどのブラック・ミュージック色を強めた
サウンドで人気を博します。
日本でもディスコブームなどと相まって人気を獲得していきます。
スタイルカウンシルはサウンドはザ・ジャムより明るめで、
激しいものよりオシャレなサウンドが多いのですが、
『ホワイトハウスを爆撃』や『インターナショナリズム』など
歌詞の政治性、社会性はより強いものとなっています。
また、
現ファットボーイ・スリムのノーマン・クックらと共に、
イギリス労働党を支持するレッドウェッジを結成したり、
アパルトヘイト反対のチャリティーコンサート
『フリーダムビート』を開催したり、 「We are the world」の
さきがけとなった「Do they know it’s Christmas」 に参加するなど
政治活動やデモ、チャリティーイベントにも積極的に行っていました。
その後、89年にスタイルカウンシルを解散し、ソロに転向。
90年には初のソロ作品『Paul Weller』を日本先行発売。
6ヶ月遅れてイギリス本国で発売されると話題になります。
ツアーのサポートメンバーには当時不振にあえいでいた
オーシャン・カラー・シーンのスティーブ・クラドックと
デーモン・ミンチェラを起用。
オーシャン・カラー・シーンの才能を見抜き、
彼らの2ndアルバム『モーズリー・ショールズ』にも
ゲスト参加し、オーシャンをバンドとして成長させます。
その後もプライマル・スクリームやオアシス、
ステレオ・フォニックスなどの後に大物になる
UK若手バンドとも交流を深めていきます。
今では多くのUK若手バンドから尊敬されています。
(その理由はウェラーの音楽に対する誠実な姿勢、
常に伝統的なブリティッシュサウンドを残しつつ、
新しい要素を取り入れるセンスにあると思います。)
今ではUK音楽界のトップに立つゴッドファーザー的な
存在になっています。
3月11日に起きた東日本大震災の際には、
いち早く 色々なバンドに「チャリティコンサートをやるぞ」と
声をかけて、元オアシスのリアムの新バンドである
ビーディ・アイらと共に豪華な日本支援コンサートを開いてくれました。
その際のコメントです
「日本のみんなへの連帯感と支援を表明するため、
なにかをしたいって痛感していた。この30年の間、
日本へは何度も足を運んでいる。多くの友人を作ったし、
手厚くもてなされてきた。彼らは思いやりに満ちている。
心から同情する。」
「日本人は本当に協力的だし、本当に素晴らしい国民だと思う。
私の気持ちはみなさん日本人のことを思いつづけています。」
その日、ステージに立ったウェラーの胸には
(Sakura Frontというチャリティー企画
http://sakurafront.org.uk/ が作成した)
桜の形のブローチを付けてくれていたそうです。